【地理4】各地で悉く阻止される南下政策【ロシア史】#407
行く先々で出口を塞がれた19世紀のロシアが選んだ道とは?
今回のエピソードでは、19世紀のロシアが世界中で直面した「南下政策の挫折」と、その打開に向けた中央アジアや東アジアへの進出の歴史を紐解いていきます。
各地で出口を塞がれたロシアの苦悩が語られます。
19世紀のロシアは地中海やインド洋、極東へと進出を試みるものの、行く先々で列強に阻まれていました。まるで出口のない迷路のような状況のなか、彼らが次に向かったのがユーラシア中央部やイラン方面だったというから驚きです。
中央アジアやイラン方面への進出の様子が興味深いです。
南下を阻まれたロシアは、カージャール朝イランとの交渉や山岳民族の激しい抵抗を乗り越え、1864年に北カフカスを制圧します。さらにヒバやブハラ、コカンドといったウズベク人のハン国をも次々と制圧していったのです。
東アジアでの沿海州獲得とイギリスとの対立が描かれます。
中国方面ではアヘン戦争後の清からアムール川以北の沿海州を獲得し、ウラジオストクを拠点として築き上げました。しかしインドを植民地として持つイギリスにとって、ロシアの南下は最大の警戒対象であり、両者の間でグレート・ゲームと呼ばれる勢力争いが激化していきます。さらに深い話が続きますが、続きはぜひ本編をお聴きください。
※この要約はAIによって自動生成されたものです。内容に誤りを含む場合があります。
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